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「ゆるぎないもの」をひとつだけ… [稲葉的詞世界]

「何かを手に入れたい」とか「あんな風になりたい」というような
願望・欲望は、人を行動に駆り立て続ける「核」と言えるだろう。
「異性にモテたい」という願望が、その人をダイエットへと促すことは多々ある。
そんな非常に個人的な範疇のものから、「戦争においてあの国に勝ちたい」という世界
規模的な種類のものまでも見受けられ、その欲望は自国の軍事力拡張へと繋がっていく。

さまざまな種類、規模、性質をもった欲望が混在する中で我々は生活しているわけだが、
時として人は一度に多くの願望や欲望を抱え込んでしまうことがある。
あれもしたいこれもしたいと、次から次に湧き上がる欲望に身を任せていると、結果的に
右往左往してどれも中途半端で終わってしまうということが実生活ではないだろうか。
一日は24時間と決まっており、その時間的制約の中で作業をこなすわけだから、
どれだけ切磋琢磨しても、なかなか同時的に多くの欲望を叶えることは困難といえるだろう。

『MONSTER』では、この欲望を「心に宿」り続ける「MONSTER」として表現されている。
毎日毎日「新しさ」を「追いかけ」ては、古くなり自分には不必要だと判断したものを、
「せっせごみ出す」ように廃棄処分にしていく描写が、何とも「欲望」の有様が明確に
照らし出されているように感じてしまう。

欲望を掻き立てる対象として描かれたものは何か、と思案すると、
すぐに『Mannequin Village』が思い出される。この作品では、見るもの全てが
斬新で溢れかえっている「最新をまと」った「マネキンヴィレッジ」において、
主人公が「欲望のシステムに 呑みこまれ」ていく過程が描かれている。
最初から最後まで一貫して『Mannequin Village』における主人公の挙動は空元気にうつり、
最終的には自嘲的に「華に溺れ もうどこにも戻れない」と自らの現況を嘲っている。
どうやら『Mannequin Village』の主人公も、同時的に複数の欲望を
叶えようとして失敗に終わった一人のようだ。

恋愛的観点から「燃える欲望」がどのように描かれているかを考察してみる。
例えば、『Don't Leave Me』の詞的世界はどうだろうか。
主人公は大切な異性がいるにも拘らず、他の女性に手を出してしまった。
その過程では、「君を失っても」「惜しくない」と「本気で思」えるほど幸せの絶頂にいたのだろう。
己の内意に潜在している欲望という名の「MONSTER」の作用により、このような行為を行い、
結果的に大切な異性を失ってしまったのだが、そうなることを主人公は予想していたようだ。
他の女性に手を出している最中は確かに「いい気分」なのだが、その快感というものは、絶頂へ
と登りつめていく感覚ではなく、ジェットコースターの急降下の如く「坂を転が」り落ちるもので
あり、そして最終的には自らを「悲しみに追い込む」ような帰結が用意されていることを知って
いた。そうして全てを喪失し、極限の「悲しみに追い込」まれたからこそ主人公には発見できた。

DON'T LEAVE ME だれもいない                                                                              僕を許してくれるのは 君以外に

「燃える欲望」によって、大切な異性を失ったからこそ、『Don't Leave Me』の主人公には
自分にとっての「ゆるぎないもの」という存在の「君」を確認することが出来たのだろう。
しかし、結果的にその発見は「IT'S TOO LATE」であったのだけれど...。

『Don't Leave Me』が提示するバッドエンディングは、まさに欲望によって一度に多くの
ことに手を出すと、円滑に物事が進まないという結果を集約的に表現したものであろう。
『ゆるぎないものひとつ』では、そういった状況下での対処方法が次のように提示されている。

神様なら たぶんね そんなに多くのこと 求めちゃいないよ                                                              欲望から自由になれない 僕は手あたりしだい 不幸せ生んじゃう

「欲望」の渦の中に呑みこまれ、それに付き従うようにあれもこれもと「手あたりしだい」に
手を出しては、「不幸せ」を招いてしまう。そんな現状を前にして、主人公はこの湧き上がって
くる「欲望」への対処として、「神様」でさえ一度に「そんなに多くのこと」を「求めちゃいない」と、
自らに語りかけている。あちらこちらに火種の様に存在している「欲望」の中から、自分にとって
「本当に欲しいもの」が何なのかを見極め、それのみに突進することが唯一の脱却だと説く。
だからこそ、「ゆるぎないもの」を「ひとつ」だけ「抱きしめたい」と主人公は思ったのだろう。
そんな模様を、作詞家はより明確的に次のように描いている。

立ち止まって 考えろよ                                                                                   本当に欲しいものは何だろう?

欲望渦巻く社会の中で、ふと「立ち止ま」り、「本当に」自らが一番望み、欲しているものは
一体「何だろう?」と「考え」、自問自答を繰り返す過程で「ゆるぎないもの」を「ひとつ」だけ
見つけ出そうと、作詞家である「稲葉浩志」は訴えているに違いない。
『MONSTER』においても、「黙って目を閉じ 見つめりゃいい」と表現されている。
「目を閉じ」たのに「見つめりゃいい」とは何とも矛盾した表現であるが、
これはつまり、一旦「目を閉じ」て、目に映る世界から己を遮断・隔離し、自らの内証を
「見つめ」ることによって「本当に欲しいもの」を見つけ出せということを表している。
『ファミレス午前3時』も、同様のことが唄われている。

いろんなものが美しく見えるから                                                                              きょろきょろよそ見ばかりしてしまうよ                                                                           本当に一番きらきら輝くのは                                                                                自分の中 燃えたぎる太陽

ここで語られている内容は、前述の『MONSTER』や『ゆるぎないものひとつ』から考察した、
「ゆるぎないものひとつ」を見つけ出す重要性とそのプロセスだと思われる。
『ファミレス午前3時』における主人公も、巷に溢れる「いろんなものが美しく見え」てしまい、
いつも「きょろきょろよそ見ばかりしてしまうよ」と嘆いている。そんな主人公が、
「本当に欲しいもの」(=「本当に一番きらきら輝く」もの)を希求する先は、
やはり『MONSTER』で語られたのと同様、「自分の中」なのである。
主人公は「目を閉じ」、「自分の中」にある「燃えたぎる太陽」を「見つめ」ながら、
「ゆるぎないもの」が何であるのかについて熟考を重ねている。                     

しかし、この段階に来て考えねばならないことは、「ゆるぎないものひとつ」を
「抱きしめ」ることが、それほど簡単な行為ではないという一つの事実である。
「お前、大人のくせにまだそんなもの大切にしてんのか?」と友人や見知らぬ他者、
延いては社会全体から嘲笑されることもあるだろう。『ゆるぎないものひとつ』においても、
「誰もがそれを笑ったとしても」という様に、他者から批判される可能性を示唆している。
『Wonderland』でも、「扉を閉ざして」「そこから動かない」「ガタクタ」を「抱い」た
人物(「君」)は、他者(「僕」)から「臆病者」だと罵倒されていた。
この『Wonderland』においても、やはり「ゆるぎないもの」=「ガラクタ」を
抱いた者は批判されている。けれども、この『Wonderland』という作品の
詞的世界において、一番キラキラと輝きを放っているのは、
他の誰でもない、その「ガラクタ」を最後まで「抱いて」いた「君」なのだ。

『GUITAR KIDS RHAPSODY』では、社会的ルールが与える「ゆるぎないものひとつ」への
圧力を読み取れる。子供の頃からギタープレイヤーへの憧れを抱き続けながら、これまでの
人生を歩んできた主人公は、様々な社会的ルールやら観念によって引かれたレールを
歩いてきたようだ。ギタープレイヤーになりたいという「ホンネ」と、そんなこと言いつつも「Seventeen」には「受験にぶつかって」いた「タテマエ」とが己の中で交錯しあい、
「迷い」を生んでいる。結局は、成功者がほんの一握りでしかないギタープレイヤーの世界では
なく、主人公が「迷いながらも」選んだのは社会が引いてくれた「キャンパスゲート」であった。
主人公は「ホンネ」と「タテマエ」の争いにより、大いに迷い苦しんだに違いない。
けれども、彼は今でも「ゆずれないことをひとつ」持っていて、さらにそれこそが
「本当の自由」だと声高々に叫んでいるのだから、とても強い人なのだろう。

『GUITAR KIDS RHAPSODY』や『Wonderland』の世界観から分かるように、
確かに「ゆるぎないもの」を「ひとつ」だけ「抱きしめ」ることは
慈しむべきだけれど、決してそれは簡単には為されないということである。
「ゆるぎないものひとつ」をもつことによって、他者から、延いては社会から
嘲笑われることだって十二分にありえるということをこれらの作品は伝えてくれる。
その一種の社会からの乖離というのは、途轍もなく恐ろしいものなのだろう。
だから『ゆるぎないものひとつ』においても、「ゆるぎないものひとつ抱きしめたいよ」という
「~したいな」という形の、いわば願望表現の段階で押しとどまっているのだ。
決して作詞家は、血気盛んに「みんな、ゆるぎないものをひとつ持とうぜ!」と
嗾けているわけではない。これは裏を返せば、それほどまでに現代社会のあちらこちらに
「欲望」が散らばっている現状において、「ゆるぎないもの「ひとつ」を見つけ出し、
その「ひとつ」だけを持ち続けることの大変な困難さが語られていると読み取れる。

『ゆるぎないものひとつ』の主人公は、そういった他者からの嘲笑に負けることなく、
積極的に自らの内証に問いかけ、「ゆるぎないものひとつ」を「抱きしめ」ようと試みている。
例えばそれは、「欲望」に身を任せ、「手あたりしだいに」手を出しては「不幸せを生ん」でしまう
現状を冷静に眺めながら、己自身に対して「こんなこと何べんくりかえすの?」と積極的に
自問という名のアプローチを行っている場面からも推察できるだろう。
このような現状からの脱却を願う強い想いであったり、ぶれない強固な意志こそが
本当に「ゆるぎないものひとつ」を手に入れることを可能にするのであろうし、『MONSTER』で
示される「ハルカナル自由」を傍に引き寄せる大きな要因となりえるのだろうと思う。
そして延いては、「いのちの証」という、生きているという実感さえも齎してくれると、
作詞家「稲葉浩志」は記している。

自身の内証と向かい合い、己にとっての「ゆるぎないものひとつ」とは何なのかを思案し、
それを見つけ出したら、周りの他者からどんな罵倒やら嘲笑を浴びせられようとも
折れることなく、「それ」を大切に「抱きしめ」続けること。その先には、「ハルカナル自由」が
広大に広がり、さらには自らが今「ここ」で「生きている」という証明をもたらしてくれる。

だからこそ『ゆるぎないものひとつ』という作品は、「二度とないマイライフ」というように、
二度と繰り返しのない人生の偉大な価値を称える詞によって幕を下ろしているのだ。

ゆるぎないものをひとつだけもつことはすばらしい。
いきることはすばらしい。


Finally,
My analysis isn't a answer.
It's immortal alternative...

参考作品
『ゆるぎないものひとつ』(B'z-アルバム『MONSTER』収録)
『MONSTER』(同上)
『Mannequin Village』(B'z-シングル『Don't Leave Me』収録)
『Don't Leave Me』(同上)
『ファミレス午前3時』(稲葉浩志-アルバム『志庵』収録)
『Wonderland』(稲葉浩志-アルバム『Peace Of Mind』収録)
『GUITAR KIDS RHAPSODY』(B'z-アルバム『OFF THE LOCK』)


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